世界観 2016/12/04 ヴォイニッチ ~魔法と演劇~ おおよそはじめまして、またはお久しぶりで。 『はじまりはじまり』から『おしまい』まで、 パンドラ童話集のあれやこれやに関する情報を収集している私、名前はヴォイニッチ。 本日ご紹介するのは、『魔法と演劇』について。 ―魔法芸術 今回は演劇と魔法というテーマゆえに紹介する程度にとどめるが、芸術に魔法が用いられた例は枚挙に暇が無い。 それは創り手達のあくなき探究心や想像力、もてなす心、驚かせる心、遊び心、そういったものの現れだろう。 描いた絵を動かしたい、 演奏した曲を何度でも聴けるようにしたい、 創った人形と話がしたい、 自動で本を執筆させたい、 おおよそアナタが思うことは、誰かが実現させただろう。 そしてそれは『演劇』という分野においても然りである。 ―魔法と演劇の歴史 歴史からいってもかなりの昔から…それこそ、神々の時代から、『演劇』には特殊効果として『魔法』が取り込まれていた。 風の魔法で人物の髪や服をたなびかせたり、霧を生み出しスモークとしたり、声を拡大化する魔法で声量の補助をしたり、幻で背景を付けたり… おおよそアナタが『魔法でこんな効果ができるのでは?』と思ったことは、過去誰かが実現したことがあるといっても過言ではなかろう。 時代によっては『シンプルなセリフ劇=ストレートプレイ』と『魔法効果を用いた劇=マジカルプレイ』と区分されたこともあるほどだ。 特に、科学や工学の発達が遅れていた神魔期前までは、舞台効果といえば魔法を用いたものが主流だった。 それこそ、創生の六神…リクドゥ達も魔法を用いた演劇(や様々な表現活動)を行っていた。 リクドゥを見ていた神がそれをマネ、 神を見ていた他の生き物がそれをマネ、 他の生き物を見ていた人がそれをマネ、 そうして演劇と魔法は共に親しまれ、育っていった。 転機が訪れたのは、神魔期頃。 この頃になるとそもそも魔法を使える人物は昔ほど多くなく、卓越したものともなればなお更だった。 例えになるが、魔法を用いて2時間光を付け続けるというのは、2時間ランニングしろ、というのと同じようなものだと思えばわかるだろうか? しかもシーンによってはより駆け足になったり、逆に遅くしたり、山道を登るかのごとく明るくしたりすることもある。 世の中広い故に、苦もなくできる者もいるだろう。 訓練すればできるものも増えるだろう。 だが、絶対数が足りないのだ。世界のあちこちにある劇場全てに、魔法効果を扱える術者がいるほどこの時代の魔法環境はよろしくなかったというわけだ。 ―装置としての魔法へ 魔法効果が難しいとなると、人々は効果を通常のモノに頼らざるをえなかった。 つまり、明りならロウソクやランプ、ライトなど。 魔法が伸び悩みによる需要から進歩が始まった科学や工業が、これら効果を支えることとなった。 そして学者たちが錬金術の流れを汲む『錬式術』や『魔工学』を発展させることで、舞台には再び魔法が戻ってくることとなる。 昔、風を起こすのは術者…つまり人だった。 先の時代、風を起こすのは装置…つまり道具になった。 必要なエネルギーがあれば、魔法ほど難しい技術や卓越したセンスがなくても効果を生み出せる道具が生まれたのだ。 道具はけして安いものではなかったが、人に比べて『生産』し『配置』しておくことができる。 術者1人いれば光も水も炎もなんでもできた時にくらべれば不便だが、装置の種類を揃えることで補うことは可能だ。 世界規模でいうなら、兆しが見えたのは神魔期の終わりごろ。 本格的に戻ったのは復興期…特に、森林学園都市の影響が大きかったといえる。 いずれにしろ演劇には、再び魔法が組み込まれるようになった。 ―終わりに ツールとの出会いは、文化を変える。 ツールの力が強すぎて文化そのものが終わったり、変わったりすることもあるが、それもまた歴史… ただ、どんな歴史の中にだって言えることはある。 アナタの世界からすればファンタジーな世界の人間達は、ファンタジーな世界にいてもなお、芸術に更なる夢を求め、願いを込めたのだ。 それはきっと、アナタが舞台を求めるのと同じような理由で。 では、本日はこのあたりで。 それでは。 PR